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20160320日(日)18時26分

寡聞少見は皆一緒!?多数派のための世の中

今日、某デパート内の食品売り場に親と買い物に行ったのだが、そこで発作を起こした(つまり奇声を上げたのよ)。

6年くらい前――中3の頃。
まだ僕が精神病棟から出て間もない頃。
その頃は、人混みやざわざわした場所が本当に無理で、駅構内やスーパーなどでよく発作を起こしていた。


薄々気付いていたようで長く気付いていなかったこと。

僕、スーパーとかデパートの食品売り場とか、どうしても克服できないわ。これらの場所だけは。
駅構内や、電車内で人混みに揉まれることはもう大して苦痛じゃなくなったが、なぜかスーパーとか食品売り場だけは克服できない。

というか、克服、とも自分で考えたくないんだよ。
スーパーとかで平然と買い物できることが当たり前、それができない人はおかしい、という発想に至りたくないしね。


親と一緒に暮らしていなかったら、僕は毎日コンビニ通いか、スーパーに行ったとしてもずっとイヤホンなどで耳に栓をして、極力人の声が聴こえてこないようにしていると思う。

親は足が悪いんだよね。
重い荷物が持てないから、買い物には僕がついて行くしかないのだ…。


こんな状況。
僕はどうしたら良いんだよ。
親がそんなんだから、買い物ついて行かないわけに行かないし、その度に我慢するのもつらいし…。



あまり言いたくないし、言ってはいけないかもしれないけれども、事実として言うよ。
この世の中って、目に見えるものが全て、みたいに思う人が多いために、多数派が常に生きやすい世の中になっているのだ。
もう少し言うと、多数派の意見は届くべき場所に届くから叶いやすいけど、少数派の意見は気付かれさえしないのだ。

僕が特にそう思うこととして、障害者への配慮だ。
バリアフリーがどうだのユニバーサルデザインがどうだの、僕もデザインを専攻してきたから、学校で耳が腐るほど聞かされてきたけれども、その配慮って、大抵は身体障害者(目に見える障害を抱えている人)への配慮なんだよね。

テレビでたまに障害者について特集をやることがあっても、精神障害者より、圧倒的に身体障害者が多いような気がする。(それでも最近は精神障害者も注目されるようになってきたけどね。)

結局、みんな障害者に配慮なんかしてなくて、目指すものが何かといえば、例えば車椅子に乗っている人を、車椅子を押して電車に乗せてあげたりするような、「目に見える配慮」をすることで、自己の評価を上げたりすること。つまり利益なんだよね。
企業の障害者採用なんかでもそうで、目に見える障害者をバンバン雇った方が、企業からすればアピールポイントになるし、企業からしてもその障害者をどう扱えば(配慮すれば)良いかわかりやすいしね。

…つまり、下手したら目に見える身体障害の人さえも、愛情の意味での配慮などしてもらえていないのだ。


昔の僕は、自分の苦しみを他の人にわかって欲しいとか思っていたけど、今はもうあまり思わなくなった。
だって誰にも期待していないから。誰にもわかるはずないから。
というのは障害だけでなく、それを“リスク”として抱えざるを得ない世の中に迎合してくる努力をしてきたから、今の、健常者にかなり近付いた(だけど健常者にはなれない)僕がいるということは、僕にしかわからないもの。



たまに悔しくなって、鋸で脚でも切って、身体障害者になってやろうかと思うことあるよ。
車椅子に乗れば、障害者であると一目瞭然だからね。
もちろん、痛いのは嫌だし、頑張ってきた僕がかわいそうだってことわかるからやらないけどね。


車椅子用に駐車スペース広くしたり、点字ブロック作ったり、電光掲示板と音声案内両立させたり。
他にもできることいっぱいあると思うけどね。
全ての人への配慮は無理だけど、限りなく100%に近い数の人が生きやすいように配慮を進めて行かないと、一億総活躍社会なんて到底叶わないぞー。

ただ、少数派の意見に耳を傾けていては効率が悪いから、少しでも多数の人間が良い方向に行くように社会を変えていく。
それがベストなやり方と化しているんだろうね。


視野を広くしろと他人に説く人ほど、こんな単純なことに気付いていない。
それはまた、僕にも言えることなのかもしれない。(僕にだって、見えていない世界はいくらでもあるだろう。)


……奇麗事も大概にしろよ、世の中よ。



以上、ィヨロシク。



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